自分がどのようにして生まれてきたのか、自分のルーツは誰なのかを知ることができる権利を「出自を知る権利」と言います。
誰と誰の間に生まれた子どもかということは、普通誰もが知っていることです。しかし、ほとんどのAIDで生まれた人はそれを知りません。「出自を知る権利」のない子どもたち、それがAIDで生まれた子どもたちです。
全ての子どもに「出自を知る権利」があります。ですから、AIDで生まれた子どもにも「出自を知る権利」が認められるべきではないでしょうか。
AIDで生まれた子どもの立場で考えた場合、自分の出自を隠されていたことで親や医療機関に怒りや悲しみなどのマイナスの感情を持つことあるかもしれません。しかし、それは当然のことだと言えます。
突然それまで自分が自分だと思っていたものが崩れてしまった感覚(アイデンティティーの喪失)はとても辛いもので、自分は何者なのか、という大きな不安を抱きます。大人になってから知ったのならなおさらです。
しかし、AIDで生まれた子どもは、たとえ出自を知ってマイナスの感情を持った人であっても、知らなければよかったとは思っていません。むしろ知ってよかったと思っている人が大半です。なぜなら、自分のなかにできた空白の部分は、その後真実を知ることでゆっくり失ったものを取り戻し、埋めていくことができ、その確認作業のなかで自分自身に対する自信と安心感が生まれるからです。
AIDで生まれた子どもたちは、自分の生物学的なルーツに関しての情報を得ることができません。精子や卵子の提供者が匿名だからです。提供者がわからなければ、遺伝情報の半分がわかりません。意図しない近親婚の可能性もゼロでは ありませんし、自分の体質や遺伝病の可能性について自信が持てず、医療機関を受診する際に余計な不安 を抱くこともあります。
自分のことだけではなく結婚して子どもを持ったとき、今度はその子どもについても同じ遺伝子情報の空白をつくることになります。AIDは、近親婚のリスクや遺伝子情報の不明な当事者を確実に増やしてしまう技術だと言えます。
また、提供者を知ることができないことは、きょうだいのつながりをも失わせることになります。AIDで生まれた人は一人っ子の場合が多いのですが、提供者は、複数人に対して精子や卵子を提供していることがあり、同一の提供者から生まれたAIDで生まれた子ども同士は、半分血がつながったきょうだい(半分きょうだいともいう)となります。提供者がわからなければ、その人たちを知ることもできません。
提供者には、AIDで生まれた子を養育する義務はありません。また、現状提供者がどこの誰かという情報が開示されることもありません。しかし、私たちは、提供者は提供したということに対しての責任を持つことが必要だと考えます。AIDは、他の医療よりも重大な責任が伴うはずです。例えば、献血や臓器移植にも提供者がいますが、AIDが献血や臓器移植と大きく違うのは、提供することで一人の人間が生まれてしまうという点です。
提供者の情報は、AIDに関わった医療従事者と提供者と親が、生まれてくる子どもに与えてあげられる贈り物のはずです。生まれた子どもはずっと子どもではありません。成長して成人して何十年もの人生を送ることになります。子どもが健やかに育ち、それから先の人生を健康に過ごすことができるように、子どもの権利より提供者のプライバシーが優先されている現状を変えなければなりません。